キッドナップツアー 角田光代

キッドナップ・ツアー (新潮文庫)

キッドナップ・ツアー (新潮文庫)

父が娘を誘拐する一夏の旅行

「児童書」という表現がピッタリ。
どう接していいかわからなかった「帰ってこない父」「情けない父」
旅が進むに連れて、娘は父への愛情を確認していく。

私が好きだったのは、小道具的に出てきた叔母「ゆうこちゃん」の話

ゆうこちゃんは、主人公ハルに「実は昔あんたのお母さんもあんたのおばあちゃんも
大嫌いだったんだよねー。」と告白する。
ゆうこちゃんは、ハルの「祖母と母」が2人いつも仲良くてべったりで
疎外感を感じていたという話をする。
ハルは常々、家族というのはどうして自分で選べないんだろう。他の大事なものは
何だって自分で選べるのに。と思っていたので耳を傾ける。
今はもう嫌いじゃないの?と尋ねるハルに、ゆうこちゃんは、嫌いじゃない。
他にすごく好きな人ができたから。と返答する。
何それ?と意味がわからず尋ねるハルに、ゆうこちゃんが言ったセリフ

 「ほかのすごく大事なことを選べるようになると
  選べなかったことなんかどうでもよくなっちゃうの。
  嫌いなら忘れちゃってもいいんだし、好きなら一緒にいてもいいんだし。
  それくらいどうでもよくなった考えてみると、それほど嫌いでもないってことがわかったから」

多くの事柄には「母娘」の間柄が関係してくる。と私は思う。
母親の愛情不足を訴える人は多いし、まさに私もその1人だと思う。
母親にとって子供は唯一無二の存在。何があっても何よりもナンバーワンでないといけない。という思い。(そしてそれは間違いじゃない)
そして問題は「愛情」イコール「理解」と直結してることにもある。
「理解されていない」は「愛されていない」に結びつくのだ。

しかしながら、私はこの「他にすごく好きな人ができたから」という
ゆうこちゃんの理由に深く共鳴する。

私は結婚してからも、母にとってのナンバーワンであろうとし続けた。
しかし、結婚7年目をむかえようかという今になって、そんなことは
本当にどうでもよくなってきた。
他の誰かのナンバーワンになれたから。という理由では少し説明しきれない。
「愛情」というものがどういうものかわかってきたから。という感じ。

思っていたよりも、人の愛というのは「完璧」ではないのだということ。
そしてそれはそこに「絶対」としてあるのだということ。
「愛するべき」とか「愛されるべき」とか考える隙もなく、それは存在する。

そういうことに薄々気づきだすと、
母が私よりも母を大事にする姿、父を優先する姿に、何も感じなくなってきた。
そうだろうよ。とも思う。
ウサギじゃないけれど、旦那への愛、自分への愛は、かまってやらないと死んでしまうのだ。
そっちに必死になるのは当然のことだろう。

でも、親と子は違う。
そういう関係に私はようやく胡座をかいてゆったりと座るようになった。
それはとても心地良い。

リリーフランキー 「東京タワー」

東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~

東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~

遅ればせながら リリーフランキーの「東京タワー」を読了

なにがどうって これほどに誰かが死んだ時のことを
思い出させてくれる本はないだろうと思った。
ひっくるめて・・では無くて、その時、その時の場面がよみがえってくる。
まるで何かの記録のように忠実に、
あぁそうやったね。私もこう思ったねと思う。泣く。
本当の話だと思った。
あまりにもリアルで。

残念ながら 私には「感動」というのは無かった。
というか、もう「感動」という言葉、どうやって使うのかを忘れてしまってるだけかも。

親子関係云々にふれるレビューをよく見かけたけれども・・・
まぁこういう親子が普通だというような感想。
親戚のおじさんに聞いた話というような感想。
それは私が「母と娘」であるからかもしれないけれど。
それだけ、しつこいようだけれどリアル。
そう思えることは幸せなこと。

憧れたり希望をもったりがなく、噛み締めるように読む本。
思い出させてくれる幾つかの事柄は、
私にはまだ辛すぎて、もう一度読みたいと思わせてはくれない。

そうそうこの本に出てくる小倉は、私も以前に住んでいて
「もう閉鎖された動物園」から徒歩10分の所の家だったので
余計にイロイロが現実だったのかも。

貧乏にいやらしさが無い「おかん」に拍手。

本を読んでいる間、猫はずっと私の腹の上に寝そべり
時々、執拗に自分の右足の毛づくろいをする。
怪我でもしてるのかと、前足を手にとってみると
握り締めれるくらいのそれはそれは小さな前足。
・・・・が爪をたてて逃げていった。

「優しい音楽」瀬尾まいこ

優しい音楽

優しい音楽



「優しい音楽」瀬尾まいこ
短編3本入り

私は2つめの話「タイムラグ」が好きでした。

不倫相手の子供を預かる話。
ヒョンなことから不倫相手の子供を、相手が奥さんと旅行中の1泊2日あずかることになった主人公。
大豪遊するはずが、不倫相手の親に会い、奥さんとの仲を取り持ってあげることになります。
最後の吹っ切れかたが素敵。

主人公は奥さんに「負けた」と思ったのかな?
いや、負けたとか勝ったとか本当は無いんだけれどね。

この「負けた」という感覚は私にも覚えがある。
随分と認めたくなかったことだけれど。

旦那君と付き合う時に前の彼女が私の家に乗り込んできたことがある。
その時彼女に
「まもこさんは旦那君を好きですか?」と聞かれた。
黙っている私に、彼女は叫ぶように言った。
「私は好き!旦那君を大好き!大好き!大好き!」

負けた。と思った。
人間として。
旦那君は彼女といるべきだと思った。

でも私は結局旦那君と付き合ったし、彼女はその後、高潔さを失って
復讐の鬼みたいになっちゃったから、いい思い出ではないんだけれど。

まぁそれはともかく
あの時に、自分の好きな人を自分でんかう「この女の人といるべきだ。とキッパリと思えたあの瞬間を思い出した。
私欲だらけだった私には実行できなかったけれど。

あの気持ち もう味わうことはないのだろうな。

それから、私は大好きな人には大好きというように心がけている。
「大好き」という言葉がこんなにも人の心を打つとは思わなかった。
「大好き」というよりも「君のことを考えると眠れないくらいだよ」とか言ったほうが
気持ちは伝わるのだと思っていた。
でも そうじゃなかったんだよね。

頑張って。も心配してる。も「大好き」に含まれている。
大好きの一言だけで、伝えたいことが伝えれるような気がする。
だってそれが一番伝えたいことだから。

あぁ話それちゃった。

3つめの「がらくた効果」も面白かったですよ。

きいろいゾウ 西 加奈子

きいろいゾウ

きいろいゾウ

絶賛します。
ツマとムコさんという静かな夫婦の物語。
都会から田舎で暮らすことにした2人。
2人をとりまく近所の人が起こすドラマ。
子供のままのツマと、癒しきれていない自分でも忘れかけている傷を持つムコさん。
ムコさんのその傷の乗り越え方。それを受け止めるツマの寂しさ、愛情。
あたりまえのことがどれほど大切か。
きいろいゾウは誰の胸にもいます。

相手を思いやるばかりに言いたいことが言えない2人。
相手を思うばかりに相手がいなくなることばかり想像する2人。
でもしっかりドシーンとした繋がりが2人にはあって。
その 奥ゆかしさとか、静かな愛情に、ガーンとやられます。

反省。
言いたい放題の我が家では。

そういえば
結婚する時に私達夫婦は小さい約束をいっぱいした。
「ゴミはあなたが出してね」とかいうヌカヅケくさいことから
「結婚記念日には毎年花を植えよう」とかいう農民志向なことまで。
その中に
「相手がこれを言えば傷つくとわかっていることを、わざと言わない」とか
「夫婦でも言ってはいけない一線を超えない」とかもあったはずだ。

そういえば
「腹がたっていても相手が20回『ごめんなさい』を言えば許す」
とかいうのもあったな。

まず、私が言ってはいけない言葉を旦那君に放下し、旦那君はそれに応戦した。
後は もうボロボロ。
エスカレート。
傷は深し。

今になってその時は、あたりまえ。と思っていた小さい約束が
大事だったことに気づく。

反省。
今から1人でも守ろうか。
1人だけ守るなんて損だなぁ。なんて気持ちを一蹴して。

それから、この本に出てくるゴハンがとても美味しそうです。
私には料理本より良かった。
手帳にたくさんメモをしました。

朝ご飯。卵とちくわの煮物、厚揚げと小松菜の味噌汁、ほうじ茶。
晩ご飯。トマトの麻婆茄子、卵の味噌汁、セロリの漬物、冷奴。
晩ご飯。目板ガレイの煮物、ミョウガの味噌汁、大根とこんにゃくの田楽、柚子味噌。
朝ご飯。トマトと岩塩、エリンギとねぎの味噌汁、ザーサイ冷奴。
昼ご飯。かぶときのこのクリームシチュー。トースト。

・・・たまりません。

ストロベリーショート 素樹文生

遅ればせながら
素樹文生さんの「ストロベリーショート」を読みました。
http://ameblo.jp/motogi/

4ページ分くらいのショートストーリーが続いていて。
コミカルな、夢日記のような、えーっと、村上春樹さん好きの人は
テレビピープルを思い出してください!という感じの本
・・・・・・・かなぁと思っていたら、最後にひっくり返ります。
えっ、これって繋がっていたの?と思うゴニョゴニョで、ページをめくりながら「ちょっと待ってよ〜ん」と言ってしまう展開でした。

そして読み終えた時に ひとつくっきりとメッセージのようなものが浮かびあがるのでした。

・・・嬉しくなって本を閉じるのは、久しぶりだな。

って、何かのマワシモノではありませんが〜。
ちょっとイイ本なのですよ。

元々、私は素樹さんのエッセイ?日記?が好きで読んだのですが
小説もやっぱり好きだなぁ。

私は読書が好きでイロイロ手を出してしまうほうなんだけれど
別格の人がやっぱりいます。
この人の本だけは外せない!という人ね。
それは読んだ後にジーンときたり、グーンときたりするだけじゃなくて、自分も何かを人に話したくなる本が(小説家さん)があるのです。
それは「オレも書くぜ」とか、そういうことじゃなくって
何ていうのかな、読んだ後に急スピードで自分の頭の中が整理されていく。という感じ。
整理されるものは、自分の今日の一日だったり、普段思っていることだったり、昔の記憶だったりと様々なんだけれど、それが「一本」となっていく・・・そういう引き金になってくれる文章があります。

なんだろうね?
でも、それってすごい力だと思うよ!

エッセイはこれがオススメです。
http://www.rakuten.co.jp/book-ing/528936/528935/#486808/

ちなみに私は届くまで「さよなら、アロハ」を「さよなら、アゲハ」だとずっと思っていました・・。

ハナとウミ 大道珠貴

ハナとウミ

ハナとウミ

主人公のハナとウミは母親が一緒で父親が違う兄弟。
母親に会いにでかけた沖縄で、2人は別々に大人になっていきます。
すごくフラフラして うへぇ。現代ッ子といいたくなる2人なんだけれど
それでも何となく応援したくなるのは この2人に芯のある兄弟愛みたいなものを
読み取れるから。
それがけっこう底をパリっと張っていて、こういうとこが人をまともで
いさせてくれるんだな。と思ったりします。

心に残ったのは おばぁちゃんがハナにした説教の一つ。

人はね、人生の中で1回はお金持ちになる時期がくるよ。お金持ちになったっていう錯覚なんだけれどね。その時期に、どうお金を使うかで、その人の先の人生も決まるね。
がっぽり入ったからってすぐ湯水のごとく使う人。せこせこ貯める人。人におごる人。金から金を生もうとする人。
〜省略〜
お金持ちの時期になったら、今だ、今、考え時なんだ。って立ち止まんなさい。
あんたのママみたいにつきあってる男の金も自分の金もごっちゃにして、適当に生きちゃだめよ。金に振り回される女は不幸なのにも気づかない。いつまでもココロが貧乏なまま、いい目も見ないで、死んでいくんだからね。

これはちょっと私の状況がタマタマあって心に響いた。
先日亡くなった祖母が私に少しお金を残してくれていた。
もちろんお金持ちになった。と錯覚するほどではないんだけれど。

同時期に義両親から借金の申し込みがあった。
私は本当に迷った。
これをそれに充てるべきなのかどうか。

私は義両親との接触を避け、旦那経由に全部していた。
でも、きっと今が考え時なんだな。
ちゃんと話を聞こう。
お金に振り回されないように。という言葉だけ根っこにパリンと張って。
そう思えた。

本自体はゆるゆると進む。
だけれど時々「あっ。そうか」と思うとこが出てきます。

王国 その3 秘密の花園

王国〈その3〉ひみつの花園

王国〈その3〉ひみつの花園

よしもとばなな 王国シリーズ

続き物?なので 登場人物の説明は割愛。
雫石が真一郎君と別れて1人の道を歩きます。
本の帯には
「自分が何に耐えられないのかを知りなさい。
落ち込んでいる時にだけ見える『良きこと』が
あなた自身を救うのだから。」

私があーそうなんだ。あーそうだったんだ。と思ったセリフ。
自ら悲しい決断を選んで、納得したはずなのに落ち込んでしまう雫石を見て
楓が言う一言。

あのね、人が出会うときにはどうして出会ったかっていう意味があって、
出会ったときに秘められていた約束っていうのが終わってしまうと、
もうどうやっても一緒にいられないんだよ。

あーそうなんだ。あーそうだったんだ。と思った。

私にはちょっと前まですごく好きな女友達がいて、
私は彼女をとても尊敬していて、一緒に暮らしたり働いたりしてみたいと
思っていたほどなんだけれど、
ある日 ふと違和感を覚えて、ドンドン離れていってしまった。
丁度同じ時期に彼女からの連絡も途絶え始め、
あぁ同じ気持ちなんだな。と私は思った。

それでも私はすごく悩んだ。
今、連絡をとれば元通りになるんじゃないだろうか。とか。
でも、元通りなんて事は絶対ないこともわかっていたし、
それを乗り越える程 お互いを必要とする何かも無かった。
私は彼女をすごく好きだったし、今でももちろん好きなのだけれど
会えば違和感を感じることがわかっていて
それがとても落ち込んだ。

昔読んだ雑誌に、「男に言われて納得した別れのセリフ特集」なるものがあって
それに、女の人が「別れても友達でいようね。」と言ったところ
「無理だ。僕達は生き方のスタイルが違う」と返答された。ということが載っていた。
ははぁ〜ん。と思ったことを覚えている。

私と彼女も 何かの方向が、一緒に寄り添えない程に変わってしまったのだね。

私と彼女も「出会った時に秘められていた約束」が終わった、その時が来たのだろう。
そう思えるくらい あれは充実した日々だったから。

そう思うと今まで少しの悲しさという気持ちで思い出してたりしたことが
何だか違ったんだな。と思った。
もう暗い気持ちで思い出したりしないと思う。

そしてまたいつかきっと会えると思う。
寄り添うような感じじゃなくって、幼馴染のような感じで。

そんなことを思った一冊。
全然 本と関係ないね・・・。