アルゼンチンババア

アルゼンチンババア

アルゼンチンババア

私は、ばななさんの本はもう全部読んだと思い込んでいたら
図書館の児童向けの図書にこの本が並んでいて、あっ、と思った。

まさに今このタイミングで読むべき本だったのだと思う。
ばぁちゃんの底力か。

母親を亡くした娘と父と父の恋人との物語

長くなるけれど どうしても残しておきたい箇所なので抜粋。

もしかして父は頭がおかしくなるのかもしれない。
そう思うとひとりっこの私はとてもこわかった。
施設や病院にこまめにお見舞いに行く寂しい自分の姿が浮かんできたのだ。
でも、後からよく考えてみるととてもおかしいことだった。
どうして、お父さんがおかしくなることをまずじっと見つめようとしないで、
いきなり見知らぬ施設を想像してしまったのだろう。
〜省略〜
・・・それは、昔の人のいうところの呪いではないか。
そんな恐ろしいことを自動的にしてしまうようになってしまっていた。
〜省略〜
人は死ぬ瞬間まで生きている、決して心の中で葬ってはいけない。

私は祖母が亡くなるとこをどうしても想像した。
それは、祖母が死んでからも、
実はとても苦しかったのではないか。とか、
助けを必死で呼んでいたのではないか。とか、
それは打ち消しても打ち消しても時々沸いてくる、悲鳴をあげるような想像だった。
「そんなに長い時間苦しまずに済んだのだと思います。」
医師の言葉が耳から離れなかった。
そんなにって、どれほどの?私が耐えれるくらいの?

悲しい。と言葉にすることも憚られた。
祖母にもう会えないことが悲しいのに、「悲しい」は別の意味を含みそうで
とても怖かった。

祖母を「悲しいもの」にする呪いをかけていたのは私だったんだ。
祖母を「悲しい」最期にしてしまってはいけない。
私はそんなことを想像するべきじゃなかった。
亡くなったことを勝手に「幸せな死に方」だったとか「辛い死に方」だったとか
振り分けるなんておかしなことだった。

本当にあった 祖母との思い出だけを思い出して偲ぼう。
あの時あぁしてあげれば良かった。とか、無かったことを悔やむのは
もう父にも止めさせよう。

そう思った一冊でした。

ニシキノユキヒコの恋と冒険

ニシノユキヒコの恋と冒険

ニシノユキヒコの恋と冒険

ニシキノユキヒコと恋をする女の話 10話

ニキシノユキヒコは雲のような男の人だ。
それは雲の上の人・・というような意味合いではなくって
目に見えて、それは存在しているのに、近づけば近づくほど
見えなくて掴めない・・というような感じ。
もちろん彼と恋愛をする女達もまた、
どこか浮世の人の雰囲気をかもしだしてはいるのだけれど、
やはり悲しい女の性かな。
どうしても現実の縁を掴んでしまっているのだ。
だからこそ 彼女達はユキヒコとの恋が終わっても
それはもう1人の自分がしたことのように現実に戻っていける。
映画を見終わった後のように、少しのズレが生じるにしても。
かわいそうなのは ニシキノユキヒコ。
彼には戻れるところがない。
それをわかっているところ。

切なくなる一冊です。

吉田修一あれこれ

東京湾景 吉田修一
誰も本気で好きになれない女と過去に激しい恋をした男の物語。お勧め度は★2つ・・というところ。ドラマとかになりそうな話。

熱帯魚・・・吉田修一
説明しずらいなぁ〜・・。子持ちの女と昔兄弟だったやる気なしの男と3人で暮らす男の話。
私はこの登場人物の男が まさに女が好きな男の代表・・みたいな男だったので割と好きかも。
吉田修一の中ではお勧めパート2です。表紙も好き。

最後の息子・・吉田修一
おかまのママと暮らす男の話。これまた可の無く不可も無く。という気持ち。軽快に話が進んでいくので読みやすいかも、少し涙・・という時もあるし。私がオカマなら絶賛するであろう一冊かも。不思議と 温かいものが残ります。

パーク・ライフ (文春文庫)

パーク・ライフ (文春文庫)

パークライフ・・吉田修一
flowersとの2本。説明しにくいなぁ・・。離婚したくないけれど別居した夫婦の家に、猿の世話をするということで部屋に通う男の人の話。お勧め度は★4つ。わからないけれど、話としてはサラーなんだけれど、好きな感じの文章が時々出てくるので。

和博と暮らしていて、つくづく自分が貧乏臭い女だなぁって思うのは、ふと気がつくとね、彼以上の人を望んでいることなのよ。もちろん和博のことが嫌いじゃないの大好きなの。でも・・

これは 貧乏臭いという表現が好き。
私も貧乏臭い・・がまさにピッタリなとこがいっぱいあるから。
それは あれよ。
お釣りをもらって 新品の硬貨だったら嬉しいとかそういうんじゃんなくってよ。

ニュース映像、特に戦争渦を伝える映像を音なしで眺めていると、人間とはからだのことなのだと、ひどく当たり前のようで新鮮な衝撃を与えられる。・・・・・・・・・・ニュース解説者も、難しい言葉を並べ、あたかもその言葉が思考を生んで、生まれた思考で何かが起こっているかのように思えるが、その音を消してみれば、人間の思考などどこにも見えず、ただ歩き、座り、横たわる人間の姿しか映っていない。

これは 最近自分の体にどうも問題を感じているからかも。
来年 手術を受けようかな〜と思うことがあって、手術費でも稼ごうかな・・とか。
それで 近所のラーメン屋さんに 夜10時〜2時 時給800円があって
それをボーっと見てたんだけれど、それじゃぁ体壊して意味ないかっちゅう話だよね。
いかん。また 貧乏な話に戻るところだった。

ふわふわ 村上 春樹

私は本当は絵本は苦手で。
だって、絵本って言葉少ない裏に何だか色々メッセージがこもっていそうで、それは何だろうか。とか間違って受け取ってるだろうか。とか、好きにすればいいことをダラダラ考えてしまうんだよねぇ。

・・・・・でも 猫好きなのでやっぱり読む一冊。

幸せとはこういうことなのかも。と思う。
猫が寝ている時に隣で寝ると 何だか時間が違う気がする。
それがとても上手に書かれています。

引用

幸せとは温かくてやわらかいことであり
それはどこまでいっても、変わることはないんだというようなこと・・たとえば。

そうかもしれない。
私が普段思っている幸せって「ラッキー」であって、変わるんだよね。
そんなことを考えた一冊

「ほつれとむすぼれ」 田口 ランディー

ほつれとむすぼれ

ほつれとむすぼれ

ランディーさんのエッセイでは これが一番好きかも。
あれもこれも忘れたくない言葉であふれていました。

少しだけ紹介。
万引きした少年を捕まえて、その少年が自殺してしまった本屋さん。
人殺しと陰口を叩く人、本屋さんは店をたたんでしまう。
だけれども、それを聞いて「頑張って」という声が募り、本屋は再開。
今度は「あそこで万引きしても注意されないぞ」という噂がたち、そして実際に本屋さんのご主人は注意できなくて やっぱり店をたたんでしまう・・。

そんなエピソードからの(たぶんな) ランディーさんのコメント。

「店長さんを人殺しと揶揄した人たちにも やっぱり切羽つまったものを感じる。
そんなふうに人に腹を立ててしまうとき、自分にはトゲがあって、トゲってのは自己防衛でもつものだから 自分がしんどいとトゲが太くなる」

あぁ そうかぁと思った。
この話は、長いものに巻かれなければ・・の自己防衛かもしれないけれど、確かに、私がトゲを吐く時は確かに自己防衛が働いているのかもしれない。
触れて欲しくないところに触れて欲しくないから こっそりとクギをさしてみたり、私は違うんだというところを誇示してみたり・・。
私がしんどければしんどい時ほど「だいじょうぶなの?」と訳知り顔で言われたくなくって、最初にビシバシとトゲを飛ばしたりする。
私はサボテンか・・。キタロウか・・。

そしてそれはつまり。

「でも理解するって自分の陣地に相手を引き入れて、整理番号で支配することと似ていますよね」

・・・・・そういうことなのかも。

そう思うと 他人から受けるトゲの受け方も違ってくるかも。
「あぁこの人は痛いんだ」とか、そんな高みから見るとかじゃなくってね、トゲを根にもたないでいられるかなぁって。

そんなことを考えた一冊でした。

村上春樹「1973年のピンボール」

1973年のピンボール (講談社文庫)

1973年のピンボール (講談社文庫)

読んだっけなぁ?覚えてないなぁ。
わたしゃこれを読みましたかねぇ(ボケボケ)ということで再読。

村上春樹1973年のピンボール

村上春樹さんの初期3部作の1つ。
初期だけあって 少しナマナマしい感じ。村上さんがちょっと人間っぽい。(笑)  
突然現れた双子の姉妹と「僕」の毎日。と
どこかへ行こうとする「鼠」とこの町にいる彼女。
2つの物語。交差します。
村上さんの得意技かもね?

昔に折り目をつけた部分を発見。

「トラブルは雨のように空から降ってきたし、僕達は夢中になってそれらを拾い集めてポケットに詰め込んだりもしていた。
何故そんなことをしたのか今でもわからない。
何か別のものと間違えていたのだろう」

私は この部分がきっと好きだったんだろうな。
シンクロもしていたんだろうな。
今でも村上さんの こういう感じが私はたまらなく好きかも。

だけれど年をとると?心に響く部分も違うのね。
今回 とても好きなとこは違った。
以下 抜粋。

配電盤が壊れてしまった時の会話。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「何故 死にかけてるんだろう」
「いろんなものを吸い込みすぎたのね。きっと」
「パンクしちゃったのよ」
僕は左手に煙草を持ってしばらく考えこんだ。
「どうすればいいと思う?」
2人は顔を見合わせて首を振った。
「もうどうしようもないのよ。」
「土に還るのよ。」
「敗血症の猫を見たことある?」
「体の隅々から意思のように固くなり始めるの。長い時間をかけてね。最後に心臓が停まるの」
僕はため息をついた。「死なせたくない。」
「気持ちはわかるわ」と一人が言った。
「でもきっと、あなたには荷が重すぎたのよ。」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
あなたには荷が重すぎた・・。
この言葉がこんなに自分に優しく響くとは思わなかった。
昔なら もうどうしようもないのよ。という言葉はひどく残酷に思ったと思う。
そこからくる優しさなんて全然想像もつかなかった。
説明しにくいんだけれど。

私には荷が重過ぎることがある。
私にはどうしようもできないことがある。
それを肯定する、周りも、「あきらめ」でなくて肯定する・・というのかな。
その自然な会話がすごく素敵だった。
責めない・パンクしない・人には限界がある いろんなキーワードが私の頭をぐるぐるまわっていく。

・・・・・・・年をとるって、なんか良いなぁ。と思いました。

「エンジェル・エンジェル・エンジェル」 梨木香歩

エンジェル エンジェル エンジェル (新潮文庫)

エンジェル エンジェル エンジェル (新潮文庫)

絶賛します。(笑)  
正直 梨木さんの「西の魔女が死んだ」はあまり面白いと思えなかったので、それ以来 梨木さん作品を読んでいなかったんだけれど これは素敵。
川上弘美ファンや獄本野ばらファンなら好きかも。

不安定な気持ちを持つ私と夜中に覚醒する私のおばぁちゃん。
少し昔の時代、初めて抱くイジワルな感情や嫉妬を持て余すさわこ。
二つの物語が交互に出てきて結ばれていきます。
本評に「からくり小説」とあるように、あっこれはあの時の・・、あれはサインだったのか・・等と遊びの部分のすごく楽しめます。
ラストは泣けます。
とても素敵な感じで、主人公を読んでいる人を救ってくれます。
他人の言葉が、その人にそんなつもりはなくても、相手を思った言葉でなくても、人を救うことがあるのだなぁという。人が人を救える素敵な話し。

とても好きな部分を抜粋。

「ずっと後になって、私は、本心、というものが、それを言った当初はそう思えなくても、実はだんだんにそれに近づいていくこともあるのだと思った。むしろ、そのときにはわからなかった本心がひょこっと顔を出す、ということがあるのかもしれない。それを考えると、時間というものは不思議だと思う。
その時点ではわからずにいた言動が、あとになって全体を振り返ってみると、あらかじめ見事にコーディネイトされた一つのテーマに統一されているようにも見えるのだ」

思い出せば恥ずかしくなるような言動もやはりあの時にはあれが必要だったのだ・・と思う時が私にもある。
自分が年を老いて人生を振り返ったりなんかすると、何か 一つテーマが見えてくるのかもしれない。
自分のしたことだから まとまりが出てくるのかも。