村上春樹「1973年のピンボール」

1973年のピンボール (講談社文庫)

1973年のピンボール (講談社文庫)

読んだっけなぁ?覚えてないなぁ。
わたしゃこれを読みましたかねぇ(ボケボケ)ということで再読。

村上春樹1973年のピンボール

村上春樹さんの初期3部作の1つ。
初期だけあって 少しナマナマしい感じ。村上さんがちょっと人間っぽい。(笑)  
突然現れた双子の姉妹と「僕」の毎日。と
どこかへ行こうとする「鼠」とこの町にいる彼女。
2つの物語。交差します。
村上さんの得意技かもね?

昔に折り目をつけた部分を発見。

「トラブルは雨のように空から降ってきたし、僕達は夢中になってそれらを拾い集めてポケットに詰め込んだりもしていた。
何故そんなことをしたのか今でもわからない。
何か別のものと間違えていたのだろう」

私は この部分がきっと好きだったんだろうな。
シンクロもしていたんだろうな。
今でも村上さんの こういう感じが私はたまらなく好きかも。

だけれど年をとると?心に響く部分も違うのね。
今回 とても好きなとこは違った。
以下 抜粋。

配電盤が壊れてしまった時の会話。
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「何故 死にかけてるんだろう」
「いろんなものを吸い込みすぎたのね。きっと」
「パンクしちゃったのよ」
僕は左手に煙草を持ってしばらく考えこんだ。
「どうすればいいと思う?」
2人は顔を見合わせて首を振った。
「もうどうしようもないのよ。」
「土に還るのよ。」
「敗血症の猫を見たことある?」
「体の隅々から意思のように固くなり始めるの。長い時間をかけてね。最後に心臓が停まるの」
僕はため息をついた。「死なせたくない。」
「気持ちはわかるわ」と一人が言った。
「でもきっと、あなたには荷が重すぎたのよ。」

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あなたには荷が重すぎた・・。
この言葉がこんなに自分に優しく響くとは思わなかった。
昔なら もうどうしようもないのよ。という言葉はひどく残酷に思ったと思う。
そこからくる優しさなんて全然想像もつかなかった。
説明しにくいんだけれど。

私には荷が重過ぎることがある。
私にはどうしようもできないことがある。
それを肯定する、周りも、「あきらめ」でなくて肯定する・・というのかな。
その自然な会話がすごく素敵だった。
責めない・パンクしない・人には限界がある いろんなキーワードが私の頭をぐるぐるまわっていく。

・・・・・・・年をとるって、なんか良いなぁ。と思いました。