「真昼のプリニウス」池澤 夏樹

真昼のプリニウス (中公文庫)

真昼のプリニウス (中公文庫)

うーん これも絶賛!
スティルライフが好きだった人にはドンピシャかも。

ある女性火山学者が、弟の友人である広告会社社員から「電話をかければランダムで小話が出てくる」という
新しい企画への協力を頼まれることから物語は始まります。
異国で写真を撮る恋人からの手紙
易を行う制約会社社長
彼女の中のマグマが動き出して・・。

聞いても何の得にも損にもならない小話の数々、
恋人からの身勝手なようで誠実な手紙
どれもこれも好きです。

残ったのは、浅間山の噴火の体験話に、主人公が心を動かされ
なぜこのような文が書けたのか。という類の質問を体験話の筆者に
質問を投げつづけるところ。

彼女は問います。
なぜ体験を物語りにしようと思ったのか。
人な何故物語るのか。
物語にすると事実は嘘っぽくなるのではないか。
それに対し、体験話の筆者は「怖かったから」と答えます。

書かれた言葉、話された物語は手で扱うことができます。
怖い体験そのものはただ一方的に受け取るだけで、最初にあなたさまが言われたように
お山が静まるのを震えながら待っているほか人にはできることがありません。
しかし、それを後になってから言葉にすれば、それは目の前にあって、
掌に乗せることもできます。
とてもとても恐ろしかったけれども、そこに書かれた以上には
恐ろしくなかった。
そういうことが言えると思います。

言葉にしてしまうと何でもないことになってしまうことってあるよなぁと思って。
あんなに腹がたったことなのに、人に説明すると、そんなにたいしたことじゃ
ないみたいで虚しくなったりして。
そういうことを絶妙に例えている一文。

そういう言葉のマジックを良い方向に使っているところに注目。
苦しいことを書いてみることは大事かも。
以前、愛しい旦那さんを亡くした友人の話を他の日記に書きましたが
その時に私が友人に伝えたかった「事実を事実以上にしない」というのも
この類かな。

実際に起こった以上のものにしないことは時として大事で。
意味とか因縁とか巡り合わせとか、そういうことに負けない
惑わされない一つの目を持つことは、時々人を救ってくれると思う。